読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私が私でいるために

認知症と診断されている親の介護、となると。

同居するのかしないのか。

必ずその問題が出てきます。

 

母の場合、認知症はそれまで抑えてきた本質があからさまになっている状態です。

本人はすべての事柄をネガティヴ、そして想像でとらえていくので非常に家族は辛い。こだわりも強く、1度1つの想像にとらえられてしまうと次の想像が見つかるまで家族はその解決を求められ続けます。

けれど。

母の想像でしかない困り事ですし、たとえ現実の解決策を施したとしても、母はさらにネガティヴにとらえることの繰り返しです。

物忘れなどより精神的な困り事の方が強いタイプで、平和に同居するのは難しい。

 

認知症の中には、物理的な困り事がメインでご本人の心持ちは明るかったり、という方もいらっしゃるでしょう。その場合は家族と同居がお互いにいい影響を与えていると感じます。

物理的な困り事は大抵、第三者のヘルプが可能なら家族の負担感は減ります。

 

私の場合、母が神経内科のDr.から診断されて初期の頃はまだ母の本質や私自身の状況が医療福祉関係者に正確に把握されていなかったため、私の努力次第で同居は可能と判断されていました。

唯一、精神科のDr.のみ、同居は不可、と判断されていました。

 

4年以上経った今は。

できる限り物理的な距離を持つこと、と各方面からアドバイスを私は受けています。

私の努力ではどうにもならない状況です。

この辺りの見極めは、信頼できる周辺の関係者に、自分自身の正直な状況を知らせることと、母に対する客観的な観察の積み重ねの結果です。

 

同居して幸せな場合とそうでない場合。

 

家族だから面倒を見なくてはと安易に決めず、時間をかけて理解を深めてからでも遅くはないと思います。

 

緊急の時のみ寄り添い、あとはお互いの生活を守るスタンス。

 

スープが冷めない距離をというじゃないですか。

 

親は人生のパートナーではありませんしね。

 

そのことをぜひお忘れなく。 

生命の流れを止めない

ここのところ亡くなった父の事務処理を姉弟で進めている。
この作業は認知症と診断されてる母がこれから1人でも生きていけるようにする作業だ。
とにかく。
事務処理自体が精神鑑定が要求されるかもしれない前提で進む。
銀行の印鑑1つさえ、裁判所の判断が決まるまで確認もできない。もちろん新しい口座の開設も。
そのことを母が関わってる医療福祉関係者でも詳しくは知らない人が多い。
病気、という面からは知ってるだろうけど、社会的に、しかも公的にどう扱われるのか。
ぜひ、認知症に関わっている人達には知っておいてほしい。
認知症と診断されることがどれだけその人の人生を変えるのかということ。

そしてそれでもなお。その人の生命や人生の流れを止めないこと。

認知症だからといって、母の人生の決定権は私達子供たちにもない。
本当の意味の母の人生のパートナーは父だけだ。
父が亡くなった今、母の人生は母だけのもの、母の人生の流れに誰も関わったり影響したりすることはできない。

正常な判断ができる精神状態ではないと診断されている今、公的な判断や医療的な判断に委ねることが母にとって、公正で本来のプロセスであるのだと思う。

今、認知症も含めて家族の介護に関わってる人達に言いたいこと。

介護を受ける人の人生や生命の流れをコントロールすることから手を離してほしい。
大変かもしれない。
親戚や兄弟、いろんな人に、冷たい、と言われるかもしれない。

けど、くじけないで。

私も、たくさん言われた。

ただ、支えはあった。

専門的な判断はたくさんの人にしてもらった。
自分だけで判断はしなかった。
そこは委ねた。
そして選択は私や弟がした。

そして私は自分の人生を大切にしたかったからくじけなかった。

病気や介護される状況になったとしてもその人の人生はだれも代わりになることはできない。

だったら人生の節目節目でやってくる選択の時に、本人の希望をそのまんま受け取ってみたらどうだろうか。
本人の意志決定が無理な場合は専門的な人の意見を参考に。

我が家の場合であれば。

父は在宅時にすでに積極的な治療はもう望んでいなかった。
訪問診療時に父から言われたた言葉がそうであったと思う。
もう、やめてくれ。
その一言。
それは父の終末期の延命方針を家族が決定する時に反映された。
私は何度も辛くて父をまともに見れなかったし、父が本当に苦しまない方法を知りたくて色んなDr.に意見を求めて判断を重ねていった。

今でも友人に父の最期の処置はこんなだったとつい話してしまうし、点滴をしてベッドで運ばれてく高齢の男性を見ると涙が出る。

けど最後に父はむくみもほとんどなく、親しい人達に囲まれて、静かに息を引き取った。
息を引き取ったあと、大好きだった訪問看護師さんを偶然病室に引き寄せるということまでやってのけた。
ちょっと不思議なことも起こったし。
あっぱれ。

母の場合は。
家に閉じこもることを選択している。
家を訪れる医療介護関係者以外は人とほとんど関わることをせず、誰にも気兼ねなく、寝たいときに寝て起きたい時に起き。
したくないことは全部、考えること決定することや判断は、依存。こちらも、あっぱれ!と思う。夢の中に生きている。
本当にもう、ちょっとでも人に気を使うことすら、何もしたくないんだろなとこの何年間かでわかった。
じゃ、なるべく放っとくよ、となった。
そもそも何を話したとしても、こちらのこころもちには関心はない。まるでアスペルガーみたいな状態に私には見える。
弟とも、意地悪のように聞こえる風にまではっきりこちらはどう思ってると伝えなくてはいけないのはこちらも辛いねと話している。

幸いに母はしっかり歩けるし比較的丈夫な身体をしている。私や弟は母の生命や人生の流れを損なわないよう手を貸すだけ。
私は参加はしない。
母と人生を共にする気持ちはない。
私は自分の人生を全うする。

家族それぞれの生命や人生の流れを分けて尊重するということ。

介護中の人全部に捧げたいな。

ゲート

色々人生を見たり聞いたり、体験したりしてきた。
最初は両親いっぺんの介護の日々がいきなり始まった。
その中で子育てと並行で離婚も経験したりして、本当に大変だった。

やっと落ち着いて自分のことを始められる時間がやってきている。

これまで事情に深く触れながらも私を見守ってくれた方々には感謝しかない。
いつもは知らないふりをしてくれてても、必要な時だけボーダーを飛び越えて助けの手を差し伸べる叫びを上げてくださった方がいた。(私の耳に届くように叫ぶのと同じような表現をされた、と私には感じた。)
つかず離れず寄り添って、私の仕事のスーパーバイズをしてくださった方もいた。
どんな時も、遅い時間まで親戚のように迎えてくれ泣くがままにさせてくださったお宅があった。
その時その時の、本来の性質のままの私を受け止めてくださっていた。
なかなかできることじゃない。
大きな器の方々に本当に助けられてきた。

私の本本来の姿に触れながらもコントロールされていると私が感じてしまったり、その前に本来の姿を見ないという選択をされた方たちの側からは私は離れていく選択をした。
私を心配してなかったわけではない。
ただ、私は自分本来の人生の流れを取り戻そうという流れにあったのでミスマッチだった。お互い苦しかったと思う。
これは自分を大切にするという学びにつながった。
愛すればこそ憎しという感覚も味わったような気がする。

私は機会のある場合は誰に対しても、私の真実の姿を隠さなかった。
そのまんまの私をさらけ出していた。

これからも私の真実の姿を隠さないことは変わらないと思う。
周囲の人の人生に慎重に配慮しながら、というものが加わった。
自分を大切にすることは他の人も大切にすることだと深く学んだ。

私らしさは失わず、自由に。
時にはお節介も。
自分も周りの人も大切にしていきたい。

私に会いたいと望んでくださる方には有償だけどセッショがありますよ、というゲートを設けた。
なのでさらにたくさんの人に出会えることだろう。

幸せなご縁が私や大切な人たちとともに広がりますように。

梅の実

梅から、そろそろどう?っ言われてるような出会いがあったので、今年は久しぶりに梅を漬けようと思う。
ザルはまだ見つけてないけど、まあ、きっとなんとかなる。
梅が見つけてくれる。

梅を毎年漬けてたころ。

日中に洗ってヘタを取った梅を次の日まで子供部屋に広げて乾かしていた。
夜中に子供部屋に入ると。

梅の香りが目に見えるような、それはそれは幻想的な空間になっていた。
夜中だからよけいに、幻想的。
真っ暗な中から、梅の妖精が穏やかでしかも華やかな笑みを浮かべて、ここにいるよ!と言っている。
うっとりする。
ずーーーっとその空気の中に取り込まれていたいと思うほど、魅力的。

いかんいかん、とハッと我に返って、また寝に戻る。
けど、あんまり魅力的なのでまた何かのついでに行ってしばしたたずんでしまっていた。

夜の梅、なんか羊羹の名前であった気がするけど、花よりも、夜の梅の実、なのだ。私は。
お花よりもさらにさらに濃厚な、生命のパワーを発散させている、黄色の上にほんのり頬紅をつけたように紅く染まった熟した梅の実。

美しいし、ドキドキする。
撫でたり頰ずりしたくなる。

うーん。
思い出すだけでうっとり。

生きてく勇気

f:id:loveableworld:20160514065130j:image
駅を出るととても風が強かった。
向かい風。
遅れます!とメールしたけど心配になって電話しなきゃとかけてみると他の1人も遅れてるからのんびりきてねと。
あー、なんでこんなに硬くなってるのかしら、私。
一体どちらに行けばいいんだろうと地図を検索する。
それでもイマイチわからない。
多分こっちかな?という感を頼りに歩き出す。
てくてくてく。
途中で私の世界をこの世とつなげてくれたきっかけをつかんだ場所を通り過ぎる。
隣のコンビニでお水を買う。
ちょっと寄り道。
またてくてくてく歩き出す。
どこに向かってるのかハッキリせず地図は持っていても少し不安だ。
角を曲がり、何やら軽くて明るくて暖かくなってきた空気の中を歩く。
なんか、知ってるぞ?ここ。
風は相変わらず吹いてるけど、心地よい。
お日様がにこにこと笑ってるような暖かさに包まれている。
あ、この道だったんだ。
バスでしか通ったことなかったからわからなかったんだ。
ここからなら目的地はまだ知らなくても怖くない。
そして、1年ぶりくらいに日の光の中をこの道を通ってることに気がついた。
こんなに穏やかで安心する道だったなんて知らなかった。
スマホの地図を片手にぼんやり歩いていると、突然、目の前にある建物が目的地だと気がついた。
いつできたんだろう?
周りに溶け込んで自然でまったく気がつかなかった。
中にはすでに人が待っていたけど、まだあと1人やはり遅れてるからと。
しばらく話していて待ちくたびれた頃最後の人が到着した。
みんなの楽しげな話を聞きながら時間は過ぎ、なんだったか、それまで話していなかった自分のやってることを正直に話した。
ここにいた!
突然、最後に遅れてきた人が私を見て言った。
どうやら仕事に関する目的があって人を探していたらしい。
愛想良く振舞ってたわけでもなく、淡々と自分の言いたいことを言い、それ以外は黙り、笑いたいときは笑い。
正直に自分のことを話して。
それだけのことをしていたらこんな面白いことに出会った。
まだまだ何をするのかは私にはわからないけど。
何より、まず。
以前私が読み上げた文章に泣けた!というとこが気に入った。
そしてパートナーと向き合おうと真摯に考えてるらしいとこも人としていいなと思う。
まずはそこなのだ。
たとえ仕事が絡むとしても、素の人としてどんな人なのか。
色んな体験してみてそう思う。
これだけじゃないけど、自分にとって相手が魅力的なのかそうじゃないのか。
結局そこなんじゃないのかなって思う。
条件はまったく関係ない。
ああ、この人は魅力的だ!と認めることはなかなか勇気がいる。
それを認めてさらに関わってみたいなと表現するって、ハードルが高い。
そこをするりと飛び越えたこの人はやっぱりいいなって思うのだ。
生きていこうという力にあふれてるのかもしれない。
どう関われるかはわからないけど。
応援はしたいなって思うのだ。

からをやぶる

すごーーーく前、確か8年とか10年くらい前から、葉山の海を眺めては、卒業するとか、私は今思春期とか、繭の中にいるだとか、生きてても生きてないようなことをぽやーっと知ってる人に話し始めてた。
さっき気がついたのだけど、これまでの私は、誰々の何、とか、どこどこの誰、とか、必ず紐つけされて認知や認識をされてた。自分でもそう思っていた。
オリジナルの私、という意識が私自ら持ちえてなかった。
今だって、頑固に、ママ、という肩書きを手放せずにぐずぐずしているが、これは息子の方がクレバーみたいだぞと気がついた時点で終わってる気がする。
昨日も私が予定してた夕飯なんてすっ飛ばされて、息子がポークハンバーグをさっさと作って食べ終えていた。
ママが作るより美味しい、そうだ。
終わってる、完全に終わってるし、役割が。

でもって。

素のまんまの、本来の私、という概念が私の中に生まれたことはとても嬉しい。

言ってることが変かもしれないけど、母に、2度と私はここに来ませんから、と2階に上がるだけなのに憎まれ口を叩いてふと、あれ?私は何を言ってんだろと。
さっきも下にまた降りたしなあ。
もしかして、母が住んでいる、永遠の幻想の世界には2度とくることはありません、ということなのかもと思い至り。

そう。
人って、そのまんまの、今ここにいるお互いを見ていなかったりする。
幻想で自分や相手を見てることがある。
目が覚めてなければ、いくら私を見て!と言っても通じない。

幻想ではなくて。リアルな生きてる私が生まれたんだな〜〜、きっと。

日々のつぶやきを書き始めてみます。