からをやぶる

すごーーーく前、確か8年とか10年くらい前から、葉山の海を眺めては、卒業するとか、私は今思春期とか、繭の中にいるだとか、生きてても生きてないようなことをぽやーっと知ってる人に話し始めてた。
さっき気がついたのだけど、これまでの私は、誰々の何、とか、どこどこの誰、とか、必ず紐つけされて認知や認識をされてた。自分でもそう思っていた。
オリジナルの私、という意識が私自ら持ちえてなかった。
今だって、頑固に、ママ、という肩書きを手放せずにぐずぐずしているが、これは息子の方がクレバーみたいだぞと気がついた時点で終わってる気がする。
昨日も私が予定してた夕飯なんてすっ飛ばされて、息子がポークハンバーグをさっさと作って食べ終えていた。
ママが作るより美味しい、そうだ。
終わってる、完全に終わってるし、役割が。

でもって。

素のまんまの、本来の私、という概念が私の中に生まれたことはとても嬉しい。

言ってることが変かもしれないけど、母に、2度と私はここに来ませんから、と2階に上がるだけなのに憎まれ口を叩いてふと、あれ?私は何を言ってんだろと。
さっきも下にまた降りたしなあ。
もしかして、母が住んでいる、永遠の幻想の世界には2度とくることはありません、ということなのかもと思い至り。

そう。
人って、そのまんまの、今ここにいるお互いを見ていなかったりする。
幻想で自分や相手を見てることがある。
目が覚めてなければ、いくら私を見て!と言っても通じない。

幻想ではなくて。リアルな生きてる私が生まれたんだな〜〜、きっと。