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生命の流れを止めない

ここのところ亡くなった父の事務処理を姉弟で進めている。
この作業は認知症と診断されてる母がこれから1人でも生きていけるようにする作業だ。
とにかく。
事務処理自体が精神鑑定が要求されるかもしれない前提で進む。
銀行の印鑑1つさえ、裁判所の判断が決まるまで確認もできない。もちろん新しい口座の開設も。
そのことを母が関わってる医療福祉関係者でも詳しくは知らない人が多い。
病気、という面からは知ってるだろうけど、社会的に、しかも公的にどう扱われるのか。
ぜひ、認知症に関わっている人達には知っておいてほしい。
認知症と診断されることがどれだけその人の人生を変えるのかということ。

そしてそれでもなお。その人の生命や人生の流れを止めないこと。

認知症だからといって、母の人生の決定権は私達子供たちにもない。
本当の意味の母の人生のパートナーは父だけだ。
父が亡くなった今、母の人生は母だけのもの、母の人生の流れに誰も関わったり影響したりすることはできない。

正常な判断ができる精神状態ではないと診断されている今、公的な判断や医療的な判断に委ねることが母にとって、公正で本来のプロセスであるのだと思う。

今、認知症も含めて家族の介護に関わってる人達に言いたいこと。

介護を受ける人の人生や生命の流れをコントロールすることから手を離してほしい。
大変かもしれない。
親戚や兄弟、いろんな人に、冷たい、と言われるかもしれない。

けど、くじけないで。

私も、たくさん言われた。

ただ、支えはあった。

専門的な判断はたくさんの人にしてもらった。
自分だけで判断はしなかった。
そこは委ねた。
そして選択は私や弟がした。

そして私は自分の人生を大切にしたかったからくじけなかった。

病気や介護される状況になったとしてもその人の人生はだれも代わりになることはできない。

だったら人生の節目節目でやってくる選択の時に、本人の希望をそのまんま受け取ってみたらどうだろうか。
本人の意志決定が無理な場合は専門的な人の意見を参考に。

我が家の場合であれば。

父は在宅時にすでに積極的な治療はもう望んでいなかった。
訪問診療時に父から言われたた言葉がそうであったと思う。
もう、やめてくれ。
その一言。
それは父の終末期の延命方針を家族が決定する時に反映された。
私は何度も辛くて父をまともに見れなかったし、父が本当に苦しまない方法を知りたくて色んなDr.に意見を求めて判断を重ねていった。

今でも友人に父の最期の処置はこんなだったとつい話してしまうし、点滴をしてベッドで運ばれてく高齢の男性を見ると涙が出る。

けど最後に父はむくみもほとんどなく、親しい人達に囲まれて、静かに息を引き取った。
息を引き取ったあと、大好きだった訪問看護師さんを偶然病室に引き寄せるということまでやってのけた。
ちょっと不思議なことも起こったし。
あっぱれ。

母の場合は。
家に閉じこもることを選択している。
家を訪れる医療介護関係者以外は人とほとんど関わることをせず、誰にも気兼ねなく、寝たいときに寝て起きたい時に起き。
したくないことは全部、考えること決定することや判断は、依存。こちらも、あっぱれ!と思う。夢の中に生きている。
本当にもう、ちょっとでも人に気を使うことすら、何もしたくないんだろなとこの何年間かでわかった。
じゃ、なるべく放っとくよ、となった。
そもそも何を話したとしても、こちらのこころもちには関心はない。まるでアスペルガーみたいな状態に私には見える。
弟とも、意地悪のように聞こえる風にまではっきりこちらはどう思ってると伝えなくてはいけないのはこちらも辛いねと話している。

幸いに母はしっかり歩けるし比較的丈夫な身体をしている。私や弟は母の生命や人生の流れを損なわないよう手を貸すだけ。
私は参加はしない。
母と人生を共にする気持ちはない。
私は自分の人生を全うする。

家族それぞれの生命や人生の流れを分けて尊重するということ。

介護中の人全部に捧げたいな。